------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ 例 黒須《くろす》 太一《たいち》 【読み進めるにあたって】 ストーリーは 1,「CROSS†CHANNEL」からはじまります。 順番はこの下にある【File】を参照のこと。 このファイルは たった一つのもの  1,「たった一つのもの(1周目)」 です。 ------------------------------------------------------- FlyingShine CROSS†CHANNEL 【Story】 夏。 学院の長い夏休み。 崩壊しかかった放送部の面々は、 個々のレベルにおいても崩れかかっていた。 初夏の合宿から戻ってきて以来、 部員たちの結束はバラバラで。 今や、まともに部活に参加しているのはただ一人という有様。 主人公は、放送部の一員。 夏休みで閑散とした学校、 ぽつぽつと姿を見せる仲間たちと、主人公は触れあっていく。 屋上に行けば、部長の宮澄見里が、 大きな放送アンテナを組み立てている。 一人で。 それは夏休みの放送部としての『部活』であったし、 完成させてラジオ放送することが課題にもなっていた。 以前は皆で携わっていた。一同が結束していた去年の夏。 今や、参加しているのは一名。 そんな二人を冷たく見つめるかつての仲間たち。 ともなって巻き起こる様々な対立。 そして和解。 バラバラだった部員たちの心は、少しずつ寄り添っていく。 そして夏休み最後の日、送信装置は完成する——— 装置はメッセージを乗せて、世界へと——— 【Character】 黒須《くろす》 太一《たいち》 主人公。放送部部員。 言葉遊び大好きなお調子者。のんき。意外とナイーブ。人並みにエロ大王でセクハラ大王。もの凄い美形だが、自分では不細工の極地だと思いこんでいる。容姿についてコンプレックスを持っていて、本気で落ち込んだりする。 支倉《はせくら》 曜子《ようこ》 太一の姉的存在(自称)で婚約者(自称)で一心同体(自称)。 超人的な万能人間。成績・運動能力・その他各種技能に精通している。性格は冷たく苛烈でわりとお茶目。ただしそれは行動のみで、言動や態度は気弱な少女そのもの。 滅多に人前に姿を見せない。太一のピンチになるとどこからともなく姿を見せる。 宮澄《みやすみ》 見里《みさと》 放送部部長。みみみ先輩と呼ばれると嫌がる人。けどみみ先輩はOK(意味不明)。 穏和。年下でも、のんびりとした敬語で話す。 しっかりしているようで、抜けている。柔和で、柔弱。 佐倉《さくら》 霧《きり》 放送部部員。 中性的な少女。 大人しく無口。引っ込み思案で、人見知りをする。 でも口を開けばはきはき喋るし、敵には苛烈な言葉を吐く。 凛々しく見えるが、じつは相方の山辺美希より傷つきやすい。 イノセンス万歳。 桐原《きりはら》 冬子《とうこ》 太一のクラスメイト。放送部幽霊部員。 甘やかされて育ったお嬢様。 自覚的に高飛車。品格重視で冷笑的。それを実戦する程度には、頭はまわる。 ただ太一と出会ってからは、ペースを乱されまくり。 山辺《やまのべ》 美希《みき》 放送部部員。 佐倉霧の相方。二人あわせてFLOWERS(お花ちゃんたち)と呼ばれる。 無邪気で明るい。笑顔。優等生。何にもまさってのーてんき。 太一とは良い友人同士という感じ。 堂島《どうじま》 遊紗《ゆさ》 太一の近所に住んでいた少女。 群青学院に通う。 太一に仄かな恋心を抱くが内気なので告白は諦めていたところに、先方から熱っぽいアプローチが続いてもしかしたらいけるかもという期待に浮かれて心穏やかでない日々を過ごす少女。 利発で成績は良いが、運動が苦手。 母親が、群青学院の学食に勤務している。肝っ玉母さん(100キログラム)。 桜庭《さくらば》 浩《ひろし》 太一のクラスメイト。放送部部員。 金髪の跳ね髪で、いかにも遊び人風。だが性格は温厚。 金持ちのお坊ちゃんで、甘やかされて育った。そのため常識に欠けていて破天荒な行動を取ることが多い。が、悪意はない。 闘争心と協調性が著しく欠如しており、散逸的な行動……特に突発的な放浪癖などが見られる。 島《しま》 友貴《ともき》 太一の同学年。 元バスケ部。放送部部員。 実直な少年で、性格も穏やか。 激可愛い彼女がいる。太一たち三人で、卒業風俗に行く約束をしているので、まだ童貞。友情大切。 無自覚に辛辣。 【File】 CROSS†CHANNEL  1,「CROSS†CHANNEL」  2,「崩壊」 CROSS POINT  1,「CROSS POINT(1周目)」  2,「CROSS POINT(2周目)」  3,「CROSS POINT(3周目)」 たった一つのもの  1,「たった一つのもの(1周目)」  2,「たった一つのもの(2週目)」  3,「たった一つのもの(大切な人)」  4,「たった一つのもの(いつか、わたし)」  5,「たった一つのもの(親友)」  6,「たった一つのもの(謝りに)」  7,「たった一つのもの(Disintegration)」  8,「たった一つのもの(弱虫)」 黒須ちゃん†寝る  1,「黒須ちゃん†寝る」 ------------------------------------------------------- たった一つのもの  1,「たった一つのもの(1周目)」 みっつの手が重なった。 ひとりは俺。 ひとりは友貴。 ひとりは桜庭。 それほど親しくはなかった。 桜庭とは因縁などもあった。 友貴はウィットの足りない男だった。 俺は俺で、男の友達なんてはじめてで。 違う人間なんだから、関係なんてできないと決めつけてた。 でも、違った。 違う人間だからこそ、馬が合うこともある。 三人を結びつけたもの。 ……それはエロスだった。 部活動の怠惰なる待機時間、不意に桜庭が漏らした、 桜庭『ブルマって、いいよな』 という呟きによって友情の花は開いた。俺たちはブルマ世代ではない。だからこそ、あの素敵なフェチ衣類に、狂おしいばかりに憧れていた。だってスパッツとかつまんないんだもん。 ということで——— 三人「我ら生まれた日は違えども、(童貞と学校)卒業する時は同じ日、同じ時を願わん」 卒業するその時まで、童貞でいようという誓いだ。 抜け駆けはナシ。実のところ、俺はこの時点ですでに……。 が、魂的にはチェリーだった。無問題。後に桜庭はプチインポテンツ、友貴はシスコンだと判明した。みんな問題を抱えている。 けど、構わなかった。 要するに俺たちは『約束』をしたかったんだ。友達ごっこを、したかった。 記念すべき喪失式はピーチランドに決まっていた。 メイトブックという意見もあった。 だが、それはダメだ。 俺の顔はすでに割れているから。 三人の手はいつまでも重なっていて、離れる気配がなかった。 こうして俺たちは、つるむようになった。 学校に行こうと家を出ると、支倉曜子。 曜子「おはよう、太一」 太一「うん。じゃ、そーいうことでばいばーい」 立ち去る。 背後から裾をつままれる。 太一「ぐえ……」 曜子「ちょ、ちょっとくらい話してくれてもいいのに……」 声が震えていた。 太一「キミは俺に従属的でありながら、たまに裏をかこうとする。そんなキミを全面的に信用することはできない」 曜子「適度な刺激を演出」 太一「俺を自分のてのひらで踊らせたいのだろうが、そうはイカ腹幼女」 曜子「……島友貴っぽい。ちょっぴり幻滅」 幻滅された。 曜子「いいじゃない。別に。太一、ちょっとサルっぽいし」 太一「馬鹿にしないでもらおう。俺は霊長類だ」 曜子「…………」 馬鹿にされてる気がする。くそ、反抗的な。いじめてやる。スカートをめくった。 曜子「…………」 太一「ずいぶんセクシーなショーツをめしていらっしゃるじゃないか?」 曜子「女はいつも真剣勝負」 動じない。 太一「パンツおろしますよ?」 曜子「……するの?」 太一「しない……」 曜子「どうぞ」 うー。つまらねー。この女には、フェチがない。恥じらいがない。 ダメだ。 彼女に俺のさくらんぼう魂を渡すわけにはいかない。肉体的にはともかくとして。 太一「じゃあこうだ」 太一袋からソレを取り出す。そして彼女の鼻をつまむ。酸欠で口を開く瞬間を待った。 曜子「……」 五秒。 十秒。 三十秒。 一分。 一分半。 太一「……あの、呼吸は?」 曜子「…………」 なんで平気なんですか? やめた。手を離すと、彼女は軽く息を整えた。 曜子「血中の酸素量が多いと、長く止めていられる」 太一「海人さんか、きみは」 曜子「なにがしたかったの?」 太一「……口を開けさせようかなって思って」 曜子「あーん」 簡単だった。 太一「ベロ出して」 曜子「んー」 長いベロ。タバスコを振る。十滴くらい。指で塗りたくる。 やーこいベロ。それに心なしか表面がざらざらしてる。最高のピンサロ嬢になる素質を持っていた。 太一「はい、終わりました」 曜子「……」 一瞬平気なのかな、と思ったが。 曜子「……っっ」 口を押さえて震えだした。煉瓦の壁によりかかってしまう。効いた。常人より秀逸な舌を持っているせいで、敏感なのだ。 太一「ジュース飲む?」 曜子「……うん、うん……はやく……」 もぎ取るようにして飲む。 太一「チリジュースおいしい?」 曜子「う……」 垣根に向かって倒れた。 太一「勝った……」 久々にまともに勝った気がする。さて、学校に行こう。 曜子「……せめ……て……おべ……んと……」 しがみついてくる。涙目で紙袋を渡そうとしてくる。多少は罪悪感も刺激された。 太一「……わかった、もらうよ」 母親ばりだ。母親いないけど。 曜子「いってらっしゃい」 ありがたいけど、素直に喜べなかった。 坂で少女とぶつかった。 七香「きゃ……いったたたぁ……どこ見て歩いてんのよー、このスカタン!」 太一「く……なんだよ、そっちがよそ見してるのが悪いんだろー!」 七香「最初にぶつかった時から、好きだったの!」 抱きついてくる。 太一「はええ! 展開はやすぎ!」 こんな高速なステロみたことねー。 太一「……ぶっちゃけ、どちら様?」 七香「七香」 太一「ななか……うん、いい名前だ」 七香「あんがと。まああたしが何者かについては、続く調査を待つとして」 太一「幽霊じゃないの?」 七香「あー、違うと思うわ」 太一「見た感じ、かなりゴースティックなんだが」 ※ゴースティック=ゴースト的な 七香「違うわ。足あるし」 太一「いや……それは……最近のゴーストってけっこう足あるし……」 七香「まああたしが何者かについては、続く調査を待つとして」 強引に話そらされた。 太一「……いいけど」 七香「じゃ名刺渡しておくから」 受け取る。 JOB  次世代美少女 NAME ななか〜NANACA〜   あなたのハァト、癒してあ・げ・る♪ 太一「…………」 どこから突っ込もう? 七香「ふっふ〜ん」 七香とやらは誇らしげな、それこそ、 七香『惚れていいわよ』 という不二子クラスの顔つきで俺に流し目を送ってきた。 太一「ななか、の綴り間違ってる」 七香「わざとだよ」 急にマジ顔。つうか怒ってる。 太一「…………」 こいつ、やばい?敏腕ヤングアダルトとして名高い俺に、感じ取れない空気はない。告げていた。この女はヤバイと。だって、どう考えてもミスじゃん。ありえねー。 だが……狂人相手にこれ以上つつくのは得策ではない。 太一「君って激キュートだけど、ご用件は?」 七香「いやー、さっきのは爽快だったよねー」 一瞬で機嫌を直した。危険人物特有の反応だ。 七香「あの女の悶え苦しむ様!」 クスクスと笑う。 太一「見てたのか」 七香「ちらっとね。スカッとした!」 太一「……曜子ちゃんのこと、嫌いなんだ?」 七香「いやな女。べーだよ、べー」 太一「君と曜子ちゃんの関係がわからん……」 七香「ないよ。会ったことないし。ただムカつく。だから今朝は気分いいんだー」 太一「あぁ、そうですか」 七香「だから今週は轢〈ひ〉かないであげました」 は、轢かない? 意味わかんない。 七香「よくないよねー、あーいう人」 太一「……すっごい嫌いだってのは伝わってきた」 七香「嫌いっていうか、間違ってるじゃない」 太一「まあ……」 どこまで知ってるんだろう? 七香「あんな女に……太一の最初を取られるくらいだったら……あたしが……」 暗くなった。 太一「最初?」 七香「あー、やなこと思い出した。ペッペッ。忘れよ」 太一「あのう」 七香「口直し♪」 ちう 太一「…………っ! な、なに、どうして!?」 七香「いいじゃん、減るものじゃないし」 太一「なんか、妙に焦った……敏腕アダルトであるこの俺が……」 七香「ま、あんな女のことはどーでもいいや。太一ぃ、くれぐれも惑わされないようにね?」 太一「そらまあ……されないと思うけどさ」 本当、なんなんだろう、この人。存在している密度がまるで感じられない。気配がないのだ。 七香「あのね、今日はちょっとマジでさ」 太一「はあ」 七香「ちょっとこれから、あたしと一緒に祠に来て欲しいんだ」 太一「なんだ? レイプか?」 七香「するかっ! そーじゃなくて、真面目な話。祠、知ってるでしょ?」 太一「うん、まあ」 あまり近寄りたい場所じゃないけど。なんせあそこは——— 七香「こーいうのは、ちょっと恐いんだけど……来てほしいんだ。だって太一、あの女に比べて調査甘いんだもん」 太一「あの女って曜子ちゃん?」 七香「……悔しいけど優秀よね」 太一「脳みその使い方からして違うからね。あまり考えない方がいいよ、そこらへん」 七香「そうだね。ね、お願い! これからちょっとつきあって!」 手を合わされる。 太一「いいよ……行こう」 少し、様子を見てみよう。見ればフレンドリーな幽霊。俺に危害を加えてくることはあるまい。 七香「さっすが太一! 話がわかるぅ!」 親指を鳴らした。 二人で山道を歩く。俺にとっては、昨日の今日。 太一「七香、平気?」 七香「あー、へーきへーき! 体力自慢だし」 なるほど、汗ひとつかいてない。運動部なのかな。 太一「ここらへんだっけ?」 七香「もちょっと奥。で、脇の茂みとか不用意に入らないでね。罠とかあるんで」 太一「罠って獣罠?」 七香「そんなようなもの。あとで解除しといた方がいいよ」 太一「……あぶねーって……あったあった。で、ここに来てどうしたら———」 七香はいなくなっていた。 太一「あれ? ななかー? おーい、ななかー! なんだなんだ。置き去りか?」 わけがわからない。とりあえず、祠には来たけど……。場所まで案内して消えるってのも、暗示的だな。祠を調べろってことか? 太一「……ふむ」 せっかく来たのに何もしないで帰るのはむなしいので、調べることにした。軽い気持ちで観音開きの扉をあけた。 ノートびっしり。 太一「……うわあ」 驚いた。飾り気のない薄暗い空間には、怪物もいなければ古い壷も短刀も水晶玉もなかったが……。ノートが積まれていた。変哲のない学生ノートの束だ。 太一「……」 取り出す。表紙には無造作に、マジックで数字が書かれている。巻数だろうか。 1と題されたノートを開いてみる。 ……。 …………。 ……………………。 一通り、読み終わった。 太一「……………………はあ? え、どういうこと?」 頭の中で整理する。 太一「つまり……」 ㈰俺にもう一つの人格があって、勝手に書いた ㈪未来の俺が書いたものがここに来ている ㈫同じ時間を繰り返している 太一「㈫……だよな」 他に何かからくりがあればともかく。そもそもこれ、俺の字だし。 太一「世界が繰り返している、わけか」 荒唐無稽ではあるが、そう理解しといた方が良さそうだ。自分の柔軟性がありがたい。人類滅亡と繋がらないけど、何か関連性があるんだろう。 太一「けど……」 どのノートを見ても、脳天気ではあるけど……。 太一「なんか全部、絶望的なあがきみたいだな」 繰り返しってことは記憶は残らないわけで。毎回、死んでるようなものだ。 あの昔やったゲームのように。 太一「…………」 瞬間、俺は深い思考に落ち込んだ。そしていくつかの推測と、疑惑と、真相を、導き出した。 太一「ふむ」 祠の内部(あるいは周辺)は、リセット効果を免れているわけか。しばらく祠の周辺を調べてみた。 何も出てこない。 太一「目に見えてわかったら苦労しないか」 七香の存在もある。俺をここに導いたということはだ。あの子も、知っていた? 日記の記述を信用するなら、七香は毎回現れている。見るからに人じゃないし、それもあるか。 ノートを祠に戻す。これはあった方がいい。万が一に俺が忘れたとしても……曜子ちゃんなら自力で真実までたどり着くだろう。ノートを見れば、今俺が考えた程度の結論には、瞬時に到達できるはずだ。 太一「あ……そうか、制服か」 七香の制服。見たこともないデザインだった。この近くの学校(山向こうに一つしかないが)じゃない。 もし次に遭遇したら、尋問してやろう。とりあえず俺がすべきこと。毎日を過ごして日記を書くこと。情報を残しつつ、生きること。 そう思った。 太一「どうせだったら、楽しい方がいいよな」 繰り返される孤独の世界。でも俺にとっては、理想的な場所かもしれない。 さてと。 今週も元気に生きましょう。 CROSS†CHANNEL ……………………。 太一「……」 まわる世界、か。この月曜を、俺は何度繰り返してきたんだろう。 などと考えていると。 美希を発見。向こうも俺を発見。 太一「おーい、ミッキー・マ———」 版権的に超厳しいネタをかまそうとしたその瞬間。 駆け出す。こっちに向かって。蹴つまずきながら。 太一「わっ、ごめん! 俺が悪かった! ソニー ボノ法が合憲だなんて知らなかったんだ!」 美希「うわ〜〜〜〜〜〜んっ!!」 泣いてた。 太一「どしたっ!?」 胸に飛び込んできた。受け止める。 美希「せんぱい、せんぱいせんぱいせんぱーーーーーいっ!!」 泣きじゃくる。 美希「誰もいないよ〜〜〜〜〜〜っ! おかしいよ〜〜〜〜〜〜っ、こんなの絶対おかしいよ〜〜〜〜〜〜っ!!」 弱っ!! 経験値がないってことなのかな? 美希「どこの家にも誰もいないです! ほんとに誰もいないんです、いなくなっちゃってます!!」 太一「き、昨日の夜にわかってたことだろ?」 背を叩いてなだめる。女の子の涙には弱いのだ。 美希「だって、だって!」 太一「俺がいるだろ」 美希「……うううっ、はい……よかった……いてくれて……」 ギャグだったんだが。 美希「朝おきて、お母さんとかいなくて、ごはんもなくて……そんでみんなまでいなくなってたらって考えたら……」 太一「恐くなっちゃったか」 額をすりつけるよう、こくこくと頷く。 美希「いやです、こんなの……わたし、いや……」 空を見上げる。 太一「やっぱり人がいないと寂しいよな」 美希「……帰りたい……」 鋭いことを言う。ここが本来の世界ではないこと。 世界’であること。美希の言葉は偶然だろうけど。的を射ていた。 太一「帰りたいか……」 美希「帰りたい、帰りたい……」 太一「困ったなぁ、どうするかなぁ」 美希を慰める方法は、ある。ちょっと卑怯な方法。似たもの同士の俺たちだから成立する手段。一週間限りだから。なんだってできる。人が一生を懸命に、後悔なく生きる様にも似て。この一週間だけの固有の俺たちは、生き急がないといけない。 美希を誘う惹句〈じゃっく〉を、いくつか思い描いた瞬間。 蹴りが来た。 霧「しゃーーーーーーーーーーっ!!」 太一「がああっ!」 霧のキックが、俺を美希からむしりとった。 太一「なにさらすねん!」 霧「痴漢行為はやめてください!」 太一「痴漢じゃない!」 霧「痴漢100%です」 太一「痴漢じゃないって!」 美希「ほああ、霧ちん……」 美希がふんにゃりした。そして霧に抱きつく。 美希「ふぇぇぇぇ〜〜〜〜〜〜んっ!」 霧「平気、もう平気だから」 あれ? 太一「美希や……俺の無実を証明してはくれないのかい?」 美希「えぐっ、ひくっ、うっく」 泣きじゃくっている。かわりに、霧がキッと俺を睨む。 霧「……許さない。痴漢は絶対に許さない!」 太一「違うがな!」 霧「美希が泣いてるのが、証拠です」 太一「ぉぃぉぃぉぃぉぃ」 冗談じゃないぞ。こうやってえん罪は形作られていくのか?逃げるっきゃない。 ダッシュ! 霧「あーっ、逃げた!」 学校についた。どうしよ……。 とにかく徘徊してみよう。 美希「すぇんぷぁーい……」 背後から声をかけられた。 太一「美希……」 目尻が赤い。泣きはらしたな。 太一「う、平気か?」 美希「なんとかー」 太一「生きるのだー、美希やー」 美希「やばいですねー、これぇ」 かなりアンダーなテンションだ。 美希「ごはんとか、服とか、テレビとか、どうするんでしょうか?」 太一「いや。リセットかかるらしいから」 美希「うえ?」 太一「まあなんとかなる。安心する」 美希「……うー」 しょげた。 太一「元気出せ。それでも俺の弟子か」 美希「でも……こんなのおかしいですよ……」 太一「世の中おかしいんだよ」 美希「不安っす」 太一「景気づけをしてやろう」 美希「ケーキ漬け?」 胸にタッチ。ふにゃ 美希「ふにゃ!?」 あっさり揉めた。尻に手を伸ばす。もにゅ。 美希「ぅえぁっ!?」 ほそっこい。やわっこい。きもちいい。脆い。脆すぎる。 太一「爆破スイッチ!」 背中のホックを押す。指先の圧迫と振動。ミリ単位でホックを外す。ぱさり。 美希「なおーっ!?」 がばっと胸元を抱える。まったいらな少年のような胸に、ブラは必要ないのだ。 一本釣り……は可哀相すぎるのでやめておこう。 太一「トドメ!」 ガバチョー!! 美希「にゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!??」 繰り出した技は全部入った。気持ちよいほど、ノーガードな美希だ。 太一「元気出た?」 美希「出ーまーしーたっ!」 怒ってた。 太一「ならよし」 ついでに俺のエナジーも補給できたし。 美希「べー、です!」 短い舌を出して、走り去った。 太一「わはは」 適当なところで、休憩することにした。食堂でサンドイッチを食べる。食べながら考える。 一週間の世界。不思議と抵抗がない。俺にとっては、ずっと先まで続いている世界より、生きやすいと思うからだ。繰り返される日々。 ふと考えた。考えてしまった。幾度となく紡がれる一週間。その中で、全員が和解する可能性はないのか? 放送部八人の結束はバラバラだ。誰か一人と和解しようと思っても、簡単にはいかない。日記から読み取れたことでもある。 もしあるなら。 ……見てみたい。 曜子「はい、お茶を召し上がれ」 太一「……んーんっんっんっ……ぷはーっ! 冷たくてうまいな、おかーり」 プラスチックのコップを差し出す。彼女はコップを受け取ると無言で水筒の中身を注い支倉曜子がそこにいた。 太一「……気配を消すな」 曜子「どうして?」 太一「いきなりそばに来られると驚くから」 曜子「別に消してるわけじゃない。自然にそうなるのよ」 太一「……唐突に声をかけられたら、誰だって驚くんだ」 曜子「油断?」 太一「いや、油断したいから」 曜子「怠慢?」 太一「のんびり生きたいって意味だよ」 曜子「……もったいない」 太一「疲れるよ。いつも刺々しく気を張りつめてさ」 曜子「そういうのを日常化すればいいと思う。太一のは、ただのさぼり癖」 太一「絶交しますよ」 曜子「……撤回するわ」 口論が発生しない。駆け引きが成立しない。トラブルが起こらない。受けるばかりで、何も与えられない。心の交流がない。 太一「自分の一部を、愛でるような感覚なんだよね」 曜子「……違う」 理解ははやい。けど、俺を理解してはくれない。 曜子「私は太一を愛でてるだけ」 太一「……ま、そういうことにしとくよ」 面倒になった。どうせ何言ってもこたえないし。俺が彼女に対して、効果的な一撃を加えるとしたら。 ……一つ。それは小さな刃。だが確実に、崩せる。曜子ちゃんもその存在を知っている。だから警戒してる。牽制しあいつつ、俺たちは生きている。 太一「まったくなぁ」 パクつく。 くぅ 曜子「…………」 太一「……座ったら?」 曜子「……いいの?」 太一「ご自由に」 ぴったりと身を寄せてきた。二人分あるサンドイッチ、半分放る。 曜子「ありがとう」 太一「自分で作ったものでしょ」 曜子「ええ。ありがとう」 太一「……」 こんな交流。いくら重ねたって。ただ形をなぞっているだけだ。それは……俺もか。 太一「まあ、なんとかなるよな……」 ……………………。 …………。 ……。 太一「ほ……」 いろいろ動き回ってみた。日曜日の部活。世界最後の日に、皆で大団円を迎えるため。だけど……困難さを感じた。全員を和姦……じゃなくて和解させるには、そーとーなパズルが必要だ。 祠に向かう。 大量のノート。 読み切れないほどの分量だ。美希を手込め(表現に)にすると、霧がダメになる。情報が増えるのは良いことだ。けど増えすぎると、解析する時間がなくなる。 ジレンマだ。俺は夜中まで、頭を捻り続けた。 曜子「太一」 背後から、ライトがつく。懐中電灯だ。そして曜子ちゃんだ。 太一「んあ……明るい……」 曜子「いくらその目でも、文字を読んでたら悪くするから」 太一「ん……ごめん」 曜子「なにか発見はあった?」 太一「ない。知恵の輪に延々とハマってるみたいだ」 曜子「そう、残念ね」 太一「曜子ちゃんはこのノートを……」 問いかけて、口をつぐむ。彼女に頼ることだろうか。 太一「いいや。帰ろう」 立ち上がる。ノートは一応、祠にしまう。何冊かは手にする。読める分は。 曜子「……一緒に帰っても、いい?」 太一「いっつも監視してるくせに」 曜子「ごめんなさい……」 CROSS†CHANNEL 朝。 桜庭「よう」 太一「ほれ」 マスクを渡した。 桜庭「OK」 何の疑問も持たずにつけた。 桜庭「腹が減った」 太一「食ってないのか?」 桜庭「一時間目の授業に備えている」 太一「……カレーパンを食うのが授業なのか」 桜庭「カレーパンがなくなるその日まで」 クールに決めた。記録通りに。 太一「レトルトのカレーでも食ってればいいじゃないか」 桜庭「カレーは嫌いだ」 記録通りだ。どんどん成就していく。 桜庭「ヘックス!」 太一「……六角形の惨劇」 これも記録にあった。発生率は、今まで確認しただけでも15%以上。七回に一度は、鼻汁橋をぶち込まれる計算だ。だが過去の偉い人(俺)は、マスクを装着させることで回避する術を編み出した。 桜庭「……マスク、取っていいか?」 太一「それは許可できない」 桜庭「つらいな……人生は」 太一「俺が言いたいよ」 さてと。 廊下に霧がいる。これもいつも通り。ただ効率よく行かないとな。 太一「霧ー」 霧「む!」 睨まれる。 太一「む!」 睨む。 ババババババババッ!!(心理効果) 乳首が痒くなったが我慢した。 美希「ふいー、スッキリしたー」 やがて美希がトイレから出てくる。 美希「にょーーーーっ!?」 直前までしていた行為にふさわしい悲鳴が耳朶を打った。じり、と前に出る。 太一「俺が何の用意もなく、ここに来たとでも思ったか?」 と、胸元に手を入れる。そこに必殺の武器が……あるわけではなくただのハッタリだ。かわりに乳首も掻いた。威嚇と乳首の痛痒を解消する、一石二鳥の技。霧も背中に手をまわす。 クロスボウを、前方に構えた。 太一「うわああああ」 適当に驚く。しかし緊張するな……。当たって死んでも問題ないとは言え。 ふーむ。 そういう選択肢もあるのだろうか? 太一「降伏します」 霧「動かないで下さい。撃ちますよ……って、え?」 太一「降参です」 壁に手をついて足を開けと言われる前に壁に手をついて足を開いた。降伏の姿勢だ。 美希「よわぁ……」 霧「……どうしよう、美希?」 美希「えっと……どうしようって言われても……可哀相だよ」 霧「全然可哀相じゃないよ、こんな人」 美希「だって、霧ちん武器もって一方的すぎるよ。人に向けたらよくない……」 霧「……だって」 美希「やめよ、ね?」 霧「……わかった」 不承不承ではあったが。 太一「手おろしていい?」 霧「……どうぞ」 太一「ふー、助かった、美希」 美希「あ、いえ」 ええ子だ。さて、どっちかをうまくアレしないとな。 霧「……じー」 ホコリを払う俺に、霧がガンを飛ばしたりメンチを切ったりしてくる。 太一「霧……」 霧から行くか。 霧「……なんですか?」 冷え冷えとした反応。顔つき。目の前に立つ。頭一つ分大きな俺に、臆さず目線を向けてくる。その意気や良し。 太一「てやー」 アケスケー! 霧「っっっ??? 霧あ、あれ? あれれ?ど、どうして戻らな……なっなっなっ?」 ばたばたとスカートを押さえつける。スカートはまったく落ち着こうとはしない。 霧「す、すかぁとがっ……ふわふわ浮いてっ、ちょっと、なにコレ!?」 美希「ふしぎ発見……」 太一「手首のひねりが決め手だ」 霧「あぁあぁあぁぁぁあぁぁぁぁ……」 あたふたあたふた。 ばさばさふさふさ。 霧「く、空気が抜けないっ」 太一「さて」 美希を見る。 美希「どき……」 太一「ミニスカート大好きな娘っ子への、ちょっとはやいクリスマスプレゼント」 美希「あ……わ、わたしにもアレを……?」 逃げ腰になる。 美希「あ……いや……許して下さぁい」 太一「う」 く、いたいけだぜ。 太一「見逃してやりたいのは山々なのだが……許せよ」 美希「ふわぁ、せ、先輩、落ち着いて……」 スカートの裾に指をかける。 美希「美希の大好きな先輩はそんなことしませんよね?」 じっ、と見つめられる。 太一「……」 少女の叫びに、心が動いた。その小さな腰をバックで滅茶苦茶に突き押してやりたい。愛しているから壊したい。大好きだからイジメタイ。男心は複雑なのだ。 美希「人はなぜ争わなければならないんですか!」 くっ、その通りだ。 まったく関係ないが正当な疑問だ。美希のピュアな言葉が俺を目覚めさせた。 太一「わかったよ、美希」 美希「先輩、よかった」 霧にも頭を下げよう。 太一「やーやー霧、ゴメン!」 霧「ゴメンじゃなーーーーーーーいっ!!」 くたびれた……。 太一「なんか……全然進展しないな」 曜子「でしょうね」 神出鬼没。支倉曜子。 太一「……見てたの?」 曜子「全部ではないけれど」 太一「悪趣味」 曜子「……汗、かいてる」 ハンカチでふいてくれる。 太一「いいよ、汗なんて」 のける。でもやめてはくれない。強く拒絶しなければ、駄目なのだった。 太一「ま、いいけどさ……」 夜、友貴が食料の箱を持ってきた。その中から、適当に見繕って夕食とした。暗い部屋で、ベッドに寝ころんでいろいろ考える。 太一「……」 ハッピーエンド探し。これはそう呼ばれる行為のはずだ。一人一人の問題をある程度理解しているつもりなのに、うまく行かない。時間は一週間しかないのにだ。 誰か一人と近づくのに、一週間。全員だったら七週間。桜庭や友貴、曜子ちゃんは抜くとしても。 四週間。 四倍の密度で行動すればいい……というものでもないだろうし。 太一「むず……」 解決策など閃かぬまま、眠気に落ち込んでいった。 CROSS†CHANNEL ……………………。 …………。 ……。 冬子がいない。 太一「……そうか」 この時間帯はよく自宅で衰弱しているはずだ。 そうだな。 一年教室に行こう。ミキリコンビがいるかも知れない。 誰もいない。見ると、二人の机に荷物は置いてあった。来てはいる。校内のどこかにいるのだろうか? 考えれば、霧と美希の家の中間地点に、学校はある。待ち合わせに、通い慣れた学校はちょうどいいのかも知れない。何をするにでもだ。窓から外を見る。プールが見えた。 太一「……へえ」 遊んでいた。楽しげに。かすかな声が届く。 美希「そりゃー!」 霧「あ、だめだってば、だめー!」 美希「そらそらー、よけることもできないかー!」 霧「だって水の中じゃないっ、あっ、髪濡れる、濡れちゃうからっ」 美希「どこが濡れるってーっ?」 霧「なんかオジサンっぽい」 美希「心はおじさんなの、てりゃー!」 霧「あー、髪がーしかえしっ!」 美希「きゃー!」 幸せな光景を見ていた。 霧「んのー!」 美希「てりゃりゃー!」 霧「くらえー!!」 美希「うわー……なーんて、くらわないもーん」 霧「あ、ビート板使うの禁止!」 美希「楯だよー」 霧「ずるー!」 美希「髪の長さが違う分、ハンデいるもん」 なんだよそりゃ。苦笑してしまう。 霧「けど、片手になった分、攻撃力は下がってる!」 美希「しもうたー!」 霧「狩りの時間だー!」 美希「狩猟解禁!?」 ざぶざぶと動き回りながら、水をかけあう。無邪気なもんだ。 トクン 太一「……!」 心臓が跳ねた。軽く胸を打たれて。無意識に心臓を押さえた。臓器に心があるわけではない。俺の感じたことが、心臓さえノックしてのけた。そのことが嬉しかった。 霧「きゃあっ!」 美希「あははははっ、転んだー!」 霧「ずぶぬれぇ……」 美希「どんくさーい、にぶーい」 霧「……言ったなぁ」 美希「おひょ?」 霧「濡れたらもう泳げるもんね」 美希「あっ、あっあっ、接近戦はだめー!」 霧「平泳ぎでクロールに勝てるもんかぁ!」 美希「あたふたあたふたっ」 霧「水浸しにしてやるっ」 美希「だめー! 濡れたら髪がワカメになるー!」 霧「ワカメちゃんにしてやるー!」 美希「わっ、わっ、まずっ」 霧「そらー!」 美希「ぎにゃーーーーーーー!!」 弾ける水の音。とめどない笑声。やんわりと流れる時間を思わせて、優しい。優しい世界の一場面。 日記に書こうと思った。 この気持ちを、忘れないよう。俺はずっと、二人の少女が戯れる様子を眺めていた。そして……彼女たちと打算的に交流しようとする行為が、途端にむなしく思えてきた。 太一「俺はただ……見たいだけなのに」 当たり前のように、人のそばにあるものを。人を心地よくさせるふれあいを。記憶にとどめたいだけなのに。 ベッドに寝転がる。明るいうちに調理は済ませたいところだが。気力がわかない。俺の望みは簡単なのに。 攻略ノートまで頼りながら……三日かけて……結束ひとつ取り戻せない。結束。放送部全員が肩を並べて行う部活動。明るく楽しく健全な、ラジオ放送。 ノートはその性質上、結論が記されない。 どの方法が、望む結末に近いのか、俺は判断できない。 太一「木曜、金曜、土曜……」 あと何日残っている?知らなければよかった。世界が終わるなんて。 太一「うぅぅ……」 低く、呻く。不思議世界でありながら、もどかしい現実でもある今に対する、憤りだ。せいぜい三日か四日。 太一「何ができるんだ……それっぽっちの時間で」 拳を握って。グラグラと煮えたぎる感情のうねりが、怒りのそれと似て体を熱くした。 いつまでも——— ……………………。 …………。 ……。 CROSS†CHANNEL 俺は行動した。ノートにあった記述を参考に、その場その場で最適の行動を取った。幸せのため。結束を築くため。 仲間・友情・絆。そんな白々しいもののため。そして無駄な一日を終えることになった。これっぽっちの偽善さえ、積むことはできずに——— ……………………。 …………。 ……。 CROSS†CHANNEL 金曜日になった。 本来であれば、各人との関係にも変化がある頃のはず。けど八方美人に進めてきた俺は、何も得られないまま時間を浪費してしまった。みみ先輩とも、冬子とも、霧とも、美希とも……。互いの距離感は、絶望的に遠いままだ。 ……………………。 半日かけずり回って、成果なし。 太一「はあ」 疲れた。正門前にしゃがみこみ、夕刻前一足先に途方に暮れる。と、肌になじみのあるざわつきが、遠方から接近してきた。曜子ちゃんだ。珍しい。こんな無防備に。 曜子「……手伝うことはある?」 俺の前に立って、言う。 太一「いや、今のところは……」 流しかけたのに、つい問いかけてしまう。藁をも掴む心境だった。 太一「ねえ……どうやったら、みんなでうまくできるのかな。みみ先輩がやってる部活にみんなで仲良く参加して、適度に青春して、おどけて、笑って……そういうルートって、ないのかな? いさかいを解決できて、互いを尊重しあって、希望があって…… 仲良くケンカして、放送用台本をみんなでチェックして、協力してトラブルに対処して…… ないの、かな?」 あるいは、彼女だったら知っているんじゃなかろうか。かすかな希望を抱いて。 曜子「ないと思う」 太一「……」 平坦な調子の声は、いつもより冷たく聞こえる。 曜子「そんな可能性は、どこにもないと思う。太一が、この世界、この状況で、全員の仲を取り持って安全に部活にこぎつけるためには……もっと時間をかけるか、もっと良い状態からスタートするか、しかない。そのどちらも、太一にはない。だから絶対的な限界があるの。だからいくら頑張っても、無駄だと思う」 太一「……そう」 ハッキリ、ないと言われてしまった。 太一「こういうことを言うのは、フェアじゃないんだけど……冷たい方程式だよな、それって」 彼女は応えない。佇立して、俺の言葉を待っている。 太一「毎回、バラバラの状態からスタートしてるってことじゃないか。何も成し遂げられないまま終わって……ループして……最低の毎日を幾週間も…… なんの冗談なんだよ、こりゃあ」 頭を抱えた。俺の心の空腹を満たすものは、何もないのだ。 曜子「太一……ノートは、あれで全てではないの」 唐突に彼女は口を開く。 太一「なんだって?」 曜子「もっと破滅的な歴史と可能性を示したノートもあるの」 太一「それは?」 曜子「……隠したから。あなたが、傷つかないように。あるいは……諦められるように……見る?」 太一「……」 破滅的な歴史……。 曜子「どう足掻こうとも、どう闘おうとも。ありとあらゆる可能性の中に、あなたを理解してくれる人は……いないの。ただ、私だけをのぞいて……もう、そろそろ理解してくれてもいいと思う」 太一「理解は、してるさ。付け加えるなら、君だって俺を愛してるわけじゃないだろう!?」 叫ぶ。 太一「何なんだよ、この世界は!」 深々と息を吐き出した。苛立ちとともに。 太一「ねえ……ここは異世界なのかな」 曜子ちゃんは俺の前に立った。そしてつま先で、地面に『X』の字を描いた。 曜子「可能性は二つ。一つは、線形だった二つの世界軸が交錯し、互いに知覚できる状態になってしまった……SFね」 二本の世界。ねじまがって、交差。 太一「世界が重なって、異常が起きたってことか。ん……その場合、俺たちの元いた世界は? そのまま保持されてるってことじゃ———」 曜子「もう一つは、私たちのいた世界の結末がコレだった」 だが彼女は安易な救済を、半分だけ否定してのけた。 太一「…………多世界同志の干渉はありえない……んだったね。量子力学だと」 量子力学といえばディラックだが、俺は原書を読んだことはない。そもそも今の状況が、量子力学的解釈にふさわしいものかどうか。 太一「……さっき言ってた、SFの方なんだけど……あれは?」 曜子「AとBのどちらかを選ばないといけないとする。どっちを選ぶ?」 太一「……半々だな。内容がわからないなら」 曜子「そう。私たちは日々、無数の選択の上に生きている。たとえば歩き出すとき、どちらの足から前に進めるのか。ごはんのおかずを何から食べるのか。もっとミクロの世界でも、選択は行われる。ありとあらゆる瞬間、無数の選択が行われている。世界は選択によって作られている。それも、極めて確定的に」 太一「確定的に……」 曜子「たとえば太一はAを選ぶ。太一はAを選んだことを自覚している。けど同時に、その同じ世界軸にはBを選んだ太一も存在する。並列的な世界の存在を意味するものではないけれど……ただ少なくともディラックの概念では、A選択世界からB選択世界を知覚することは不可能。逆もまた然り。逆に知覚できるなら、世界間の移行はありうる。紫外線を目視できる者にとって、世界がまったく違うものであるように。多世界を観測しえた者は、その二つの世界に存在することができる。観測が成立した瞬間、その世界の者になっている……とも考えられる」 太一「観測……した……? 世界は変わらずそこにあって、要するに見る者の違いってことかな?」 曜子「そんな感じ。ただ多世界観測は、現行の理論ではありえない。私たち複数が一斉に移行した理由にもならないし。だからSF」 太一「……ふむ。二つ目の可能性については?」 曜子「私は、こちらが本命だと思う。つまり他の世界は観測されてない」 太一「……んー、さっきのSF解釈はナシってことね」 端正な顔が頷く。 曜子「世界、時間、固有の歴史。すべて一続きのもの」 曜子「つまり……時間も巻き戻ってはいない」 太一「……え? それはおかしいよ。日記には月曜から土曜あたりまで記述があって……そこからまた月曜に戻っていたりするんだけど?」 曜子「ループしているように見えるに過ぎない。当然世界は、永遠の時を繰り返しているのではない」 曜子「この結末が、世界の確定的な結末だった。世界は交差していない。異変は起きてはいない。一続き。もともと、こうなる可能性が許容されていた世界で、私たちは可能性に乗って順当に今に立った。多世界間での知覚の交錯が起こったように見えるけれど、実際は一繋がりの道を進んでいるだけ」 太一「ループしているようにって……実際俺たち、何度もリセットかけられているわけで…… そもそも元の世界でループなんて現象、起こったこと……」 気づいた。そうか。 太一「自覚できないんだ……」 ループが起こったことを、俺たちは本来自覚できない。祠という特殊な場所が存在してくれない限り。 現象は決して露見しない。 太一「世界には、もともとループという現象が予定されていた? 人類の黄昏として?」 長い線路の端に。何も大地が崩壊するばかりが、滅亡じゃないんだ。時空が乱れて、先に進めなくなることが……終焉であることだって。 太一「でも……でもさ……」 曜子「特定の条件……この場合、日曜日の規定時間に到達した時、世界は一度分解されている……としか言えない。空間的に記録された情報に従って、分解された粒子が収束、月曜朝の状態に戻る」 太一「でも、世界としては一続き……」 曜子「その証拠として、例の社をあげる。ノートの記述内容は過去の存在を示すものよ。過去が観測できる以上、過去はある。この世界は、過去を許容しているということね。そして私たちは、何度も分解され構築されてここにいる……厳密に言えば、私たちはもう人ではない気がする」 太一「じゃあ何だっての?」 曜子「現象」 適切すぎる言葉が、心に染みた。 もう人じゃない——— 太一「君は一繋がり説だって言ったけど、でも俺には前者の方もそれっぽく聞こえる。どっちが正しいか、今のところは判断できないんじゃあ……」 曜子「私たちにとってループしているように見えても、実際どうかは調べようがないの……だったらまずは、今ある理論を適用するしかない。現状、世界間の移動はありえないと思われるから、移動なしの仮定としての後者」 太一「ああ、なるほど……」 量子力学における多世界解釈は、並列的世界の存在を裏付けるものじゃない。それは誤認であり、実際はもっと確定的な思考実験だ。そこでは、世界Aと世界Bは同時に存在しているが行き来はできない。なぜなら同時に存在しているからだ。このあたり、理解が少々厄介ではある。 太一「ディラック、せめて訳書があれば読んだんだけど」 曜子「仮に従来の理論を逸脱していたとしても。起こりえないと思っていたことが起きた。それだけのことよ。物理的な地平は広くて、人はまだその全てに手を広げたわけじゃない。そして今の私たちに、理論は些細なことでしかない。必要なのは、なに?」 太一「わからない」 曜子「理解者、でしょう?」 微笑む。 太一「…………」 曜子「太一の理解者なら、ここにいる。他の誰も、あなたのことを理解してはくれない。擬態をすればするほど……」 そうだ。当然のことだ。人のフリをすれば、フリだけが自分になってしまう。隠した内面を見られたが最後、おしまいだ。思い出す。 太一「わかってたさ……そんなこと。あのときから、とうに!」 遊紗「いいお部屋ですね」 堂島遊紗。いい子だった。純真で健気で。病を心に秘めていても、人を傷つけることも知らない。 遊紗「あの……ここの変化がわからないんですけど……」 俺の目には、甘い水。 遊紗「……太一さん?」 終焉は、唐突だった。不意にあらわれた俺の内面は、彼女にとって猛毒となった。 遊紗「太一……さん……ですよね?」 太一「ああ、そうだよ」 遊紗「あ、あの……わた、し……」 太一「キレイだね」 俺の瞳は光っていたのだろう。欲望で爛々と。 太一「キレイだから、服を脱ぐんだ」 遊紗「…………」 肉食の野生動物に見つめられたことがあればわかる。ギョロッと血走った双眼が、注目してくる。好意でも悪意でもない。とんでもないほど熱っぽい視線は……だが食欲だ。人間である自分を、食べ物としか認識してない目。熱烈なる食欲が、自分に注がれるのだ。時には吐き気さえ催すだろう。 彼女のように。 遊紗「い……いやぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!……気持ち……悪い……っう……うう……」 うずくまり、嘔吐にえずく少女を見下ろしながら、俺はそのくだらない結末にうんざりしていた。壊す前に壊れた少女。 太一「…………」 そして、彼女は俺を避けるようになった。汚物を見るような目に、変わった。実際、俺は汚物だったのだ。 俺は——— ……………………。 曜子「いれば傷つけるだけ。太一のエサでしかない」 太一「うるさい、だからわかってるって!」 曜子ちゃんは押し黙る。 太一「でもできたら、そんなことは……ない……そうはしたくない…… なんとかなるはずだ……」 曜子「私だけがいればいい」 自分の胸元を押さえて。 曜子「私だったら、太一とうまくやれるから」 どす黒い感情が、下腹部にたちこめた。 太一「うまく……やれる? うまくやれるって……言うんだ」 曜子「うん」 太一「ははは、そりゃあすげぇや。じゃあ、うまくやってみせてくれる?」 悪意が、幼なじみを貫いた。 ……………………。 …………。 ……。 CROSS†CHANNEL 土曜日。 しかし俺の頭からは、曜日感覚は消えかけていた。 ……………………。 太一「こん」 見里「あら、いらっしゃい。まあ支倉さん」 見里「お久しゅう」 先輩はモップをバケツに突っ込んで、出迎えてくれた。 曜子「……」 太一「挨拶」 曜子「……ちわ」 見里「どうしました、おそろいで」 俺と曜子ちゃんは、連れだって屋上に来ていた。 太一「適当にぶらぶらしてまして。見学しててもいいですか?」 見里「面白くないですよー?」 疲れた顔で笑う。 太一「いえ、先輩と話もしたいですし」 見里「あー、大歓迎ですー」 太一「ずいぶんと進みましたねー。アンテナ、だいぶできてますねー」 先輩は一瞬、表情をなくした。 曜子「……………………っ……っ…………あ……」 様子のおかしさは、すぐ先輩にも知れる。 見里「え? なんですか?」 曜子「なんでも……ない……」 太一「放送局の方って、どうなんです?」 見里「え、あー、そーですねぇ……ぼちぼちですよ」 曜子「ん……はぁ……ん…………っ…………ゃだ…………そこ……っっ……ッ!……ん……んん…… ひっ」 見里「ひ?」 太一「もう放送はできるんですか?」 見里「ああ、機材さえ全部繋いでしまえばできないこともないですけど……一応図面通りにしようかなと思いまして」 太一「他の電波がないなら、ハンディの方がいいんじゃないですか?」 見里「周囲が海原であればそうでしょうけど…… やっぱり、この高さにあるアンテナと、20Wの出力ってのは、強いですよ」 太一「曜子ちゃんはどう思う?」 曜子「……そ、それでいいとっ……おも……うぅ……」 見里「ああ、支倉さんのお墨付きが出れば心強いです」 曜子「ひゃうっ」 瞬間的につま先立ちになった。 見里「?」 太一「となるとやっぱりこの近くで電波が検出されないってのは———」 先輩の注意を会話に引きつける。 曜子「い、一回目……」 見里「一回?」 太一「彼女の癖です。意味はないので気にしないでいいです」 見里「はあ……」 曜子ちゃんはあまり人前に姿を見せないので、多少の奇異な言動は許容されるだろう。彼女にしてから、群青の一員であるのは間違いないわけで。本当、あの試験の完成度はすばらしいものがある。異常者を決して見逃さないという意味では——— さて。 曜子「……つめっ……た…い……」 見里「支倉さん、調子悪そうですねぇ?」 太一「いつもこうですよ。もじもじしたり、声出したり。気にしないで下さい。まあ……これが彼女の群青色なんで」 見里「ああ、なるほど」 簡単に納得した。 曜子「……っっ!?」 気が気でない様子。 見里「大変ですねぇ」 太一「まあ、俺もいますんで」 先輩は好意的な微笑を浮かべた。 曜子「……きゃふっっ……っっ!」 ぴーんと爪先立ち。 曜子「……んんん———っ!?」 さらに爪先立ち。 見里「お顔、赤いです……まあ、すごい汗」 太一「いつものことです。むしろ好調な証拠なんです」 見里「そうですか……」 太一「不調になったら、医者もいないですしね。好調でいて欲しいですよ」 見里「そんなわたしたちだけが、生き残って……難儀なものですよ」 太一「本当にねぇ」 二人はうんうん頷く。 太一「こんな時代に生きていかねばですよ、我々は」 見里「そうですねぇ、大変です」 先輩も、一拍遅れて似たような反応を示す。 少々、圧倒されているようだ。 見里「ど、どうしました?」 太一「しゃっくりですね」 汁が吹きでている。 今下を見られたら、失禁したと思われるだろう。 内ももから地面にかけて、ぬらぬらと光っている。 見里「まあ、汗が。これ使ってください」 ハンカチ。 曜子「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」 曜子ちゃんは動けない。自分を抱きしめたまま、硬化している。 倒れる。 受け止めた。 太一「保健室で休ませてあげます。じゃこれで」 見里「はい、また」 彼女をおぶって、その場をあとにした。 保健室で曜子ちゃんを寝かせる。 気をやったせいか、完全に意識を失っていた。 太一「ははは」 おかしかった。 怒りの反動の、おかしさだった。 人を理解するなどと。 太一「俺、暴走するかも知れないけど、せいぜいうまくやってよね」 学校を出る前、ふと屋上を見た。 みみ先輩が飛び降りるところだった。 太一「……………………」 俺は柔らかな先輩が、かたい地面に吸い寄せられ、砕ける瞬間を見た。 感情が、一気に制御不能領域に飛んだ。 ……………………。 太一「う……」 吐き気。途中、何度か胃液を戻した気がする。ただ赤色の光景ばかりがまばゆいのだ。それは物理ではないだろう。さりとて精神的……なものでもなさそうだ。現実の光景であり、視野を染めるほどの『何か』。その渦中に俺はいたのだ。当然、俺は赤が嫌いだ。見ていると、精神に極めて負荷がかかる。拷問に近い。吐き気はそうした負荷によって導き出されたもので、いわば俺の……人格を守るための防衛機構であるとも言えた。ノイズを挟まないことにはピュアな赤が意識を浸食してしまう。嫌悪感が、フィルターの役目を果たすのだ。五体の感覚が鈍い。というかナイ。夢遊している気もするし、寝そべっているような鈍いけだるさも意識できる。 講義をはじめる。 ㈰みみ先輩について 俺が曜子ちゃんにしていた羞恥プレイは、彼女に気づかれていたか? 上の問いはまったく意味を持たない。 ㈪桜庭について 桜庭は抵抗しなかった。事態を理解できていなかったのかも知れない。 ㈫霧と美希について まず気をつけるべきは、霧が武装している点だった。またペアであることから、美希も同様に武器を持っていることは考えられた。本来は、霧からだ。攻撃力を有する者から。だが美希の危険度が未知数であるということで、警戒が必要だった。美希がどの程度の戦力を持っているかを調べる。第一に設定されるシークエンスだ。実行し、うまくいった。 ㈬冬子について 死んでいた。 ㈭友貴について 死んでいた。死体は移動され、プレハヴ内に隠されていた。屋上のモップバケツにたくわえられた水は、赤黒かった。ただ、そんだけ。 ㈮曜子ちゃんについて 彼女は抵抗しなかった。 太一「あ……」 前もこんなこと、あった——— ……………………。 …………。 ……。 太一「あ……」 日が暮れていた。俺は理性とともにあった。ずっと、惚けていたのだろうか?自分の置かれている状況を確認する。まず、今日は何曜日だっけ? 決まってる。正門を出たとき夕方だったのだから。 丸一日経過したことになる。 一日かけて、俺は——— ああ、すごい夕日だ。澄んだ大気ごしに見える、朱を基調とした濃淡のあわい。ふと自らを見下ろすと、シャツがどす黒く染まっていた。四人分の血だ。 太一「……うう……うっ、うううっ……」 獣のように口を開き、肺腑の底から。声なき悲鳴を絞り出す。赤はどこまでも広がっていた——— 日曜日、だったろうか。俺は屋上に一人、立ちつくしていた。曜子ちゃんはほとんど抵抗しなかった。じっと手を見る。赤々と濡れた、両の手だ。 太一「…………」 転がっているのは、曜子ちゃんだけじゃない。みんな、いた。どうしてこんなことになったんだっけ? 確かアンテナが壊されていて、みんなが集まってきて、友貴が犯人で、霧がクロスボウを構えて。曜子ちゃんが霧を*して。止めようとしたみんなにまで、彼女は手を出して。*戮機械みたいで。だから仕方なく、俺は曜子ちゃんを*して。 生き残ったみんなに『大丈夫だよ』と言ったら……誰だっけな……拾ったナイフを、俺に向けて。俺のこと怪物だって感じで。 俺は怪物じゃない。 それで、俺つい*しちゃって。みんな、*しちゃって。美希は*す前に*して。壊れて。いろいろ壊れて。大変で。あともう一人か二人、*した気もするけど。*してから*したんだっけ?逆だっけ?どっちがまずいんだっけ?記憶にない。昨日は何してたんだっけ? もう思い出せないや。 些細なことだよな。今日に比べたら。ああ、俺、みんな*したんだ。俺を*してくれる人は?いないの? 俺は横たわる。綺麗な空だった。汚らしい空だった。 太一「赤い———」 こんな俺からも、涙が出たのだった。 ……………………。 …………。 ……。 CROSS†CHANNEL